冬になると脂を蓄えうまくなるワカサギ
寒波が続き、空気がキンキンと冷えてくると、いよいようまくなる魚が多い一方、海で冬の時化(しけ)が増えれば水揚げは少なく港も寂しい。うれしいやら、悲しいやら、財布が苦しいやらの冬なのだ。そんな時、ふと思い出すのがワカサギだ。
薄黄土色の背に銀の腹。一年中獲(と)れるのだが、冬には腹に脂を蓄え、春の子持ちの時期を待つ。九州から北海道までの湖沼や汽水域に棲(す)む小魚だが、本来は太平洋側は千葉、日本海は島根以北に棲む北方系のサカナであって、そこから南は移殖されたものであることは意外と知られていない。海水と真水が入り混じった汽水湖では15センチほどに大きく育つが、水域の規模や餌環境によって体長や太り方を変え、“その水の味”になってゆく。
その地に生を受け幼少を過ごした島根県出雲では、この魚は冬から早春にかけての風物であった。当地では「あまさぎ」と呼び、特に子持ちの時期にこれを姿良くつけ焼きにしたのが魚屋の店頭でも売っていた。季節になると祖父はこれを求め、碗(わん)に盛った少しの白めしに数本を乗せ、煎茶を注ぎワサビを添えて、うまそうに味わっていた。この食べ方を「柳かけ」という。脇で眺める煎茶の湯気と、茶をかけられて“ほとびる”ワカサギの香ばしさが漂うその様は、なるほど揺れる柳の風情であるなと子供ながらに記憶している。
島根のヤマタノオロチ伝説で知られる斐伊川に端を発し宍道湖(しんじこ)から中海を経て美保湾に注ぐ水系に、ワカサギはいた。スズキやシラウオとともに“宍道湖八珍”にも数えられ、確かにいた。というのは、今はいない。高度経済成長期の日本の政治は宍道湖や中海など、天の幸を産む水域を何の誰のための経済か知らないが、干拓してつぶしていったのだ。計画は頓挫し湖は残ったが、数十年たった今でも、その爪痕は大きく残っている。小魚なので揚げ物が向く。天ぷらもフライもうまい。茹(ゆ)でて酢醬油(すじょうゆ)をかけた釜揚げも素晴らしい。しかし私には、切なく儚(はかな)い味なのだ。
ウエカツ水産代表。昭和39年生まれ、島根県出雲市出身。長崎大水産学部卒。大学を休学して漁師に。平成3年、水産庁入庁。27年に退職。「魚の伝道師」として料理とトークを通じて魚食の復興に取り組む。